「遠野物語・奇ッ怪 其ノ参」見たよ

世田谷パブリックシアターにての公演をみました.
https://setagaya-pt.jp/performances/20161031toono.html
ストーリーライン引用
”今は昔、あるいは未来。舞台となる世界は、現実から少しずれた架空の日本。
社会の合理化を目指す「標準化政策」により、全てに「標準」が設定され、逸脱するものは違法とされた。
ー中略ー
作家のヤナギタは、東北弁で書かれた散文集を自費出版したことで、任意同行を求められた。
方言を記述したうえ、内容も迷信と判断され、警察署の一室で事情を聞かれている。
迷信を科学的に解明することで著名な学者、イノウエが召喚され聴取に加わった。
ー後略”引用ここまで

仲村トオルさん出てるし,グレーテルのかまどの瀬戸さんも出てるー,会場近い,行ってみよう!」くらいの軽い気持ちで行ったんですけど,すっっっっごく良かったです.シリアスとコメディ,緊張と緩和のバランスも良かったし,コメディ部分では会場みんなけらけら笑ってました.
演劇ってべつに映画やTVドラマでいいんじゃない? なんか高尚っぽすぎるっていうかファンは業界人みたいな人とマダムみたいな人ばっかりだし,抽象的すぎてよくわかんない…と,思ってました.すみません.完全に勘違いでした.演劇は演劇でした.俳優さんが演じてるからといって,一緒ではありませんでした.TVドラマや映画とはまた別の表現方法でした.それが感覚的に納得できただけでも今回すごく人生に影響を与えられたと思います.なので感想文は苦手なのですがメモしておきます.

「理解できない」って後ろめたいというか,自分だけがわかってないんじゃないかって恥ずかしい気持ちになりがちだったので,それが嫌だったのかも.演劇ってなんかそういう感じをうけることが多くて,自分だけわからない,置いてけぼりにされている感じが好きじゃなかった,ような.舞台上という限られたスペースで,俳優さんの数も舞台セットも制限が大きい,だから映画やTVドラマに比べると抽象的な表現を用いる必要があるのは仕方が無いけど,それがなんか理解するのに困難を伴うというか,慣れが必要というか,知識がないから初見ではよくわかんないし,映画とかでいいじゃない? って思っていました.

のですけれど,この遠野物語では早い段階で劇中人物も語り部が語る「話を理解できない」(えっ,オチがないの? というかそもそもそれなんだったの? いやそれはわかりません,だって体験したことをそのまま伝えてるだけなので)というようなくだりがあって,「あ,これ理解できなくて大丈夫なやつだ」と感じられたことで没頭できたのですよね.多分,私が「理解しないと楽しめないのに知識がないから理解できない,知識を入れるのは大変,だから演劇を見るのは大変…」というようなことを無意識に思い込んでただけで,今までちらっと触れてきた演劇も,実は理解しないまま見ていても大丈夫だったんじゃないかしら.どうなんだろう.

落語は好きなんですけど,考えてみれば落語は演劇の舞台よりもさらに人と道具が限られていて,それでも特に身構えること無く見れたのは,最初に落語の映像や音声じゃなくて対面で聞けたことが大きいのかも.昔の人の風習とか,礼儀とか,わからないことも多いけどそれはそういうものとして流してみている.型が整ってるから,という部分も大きいけれど,語り部から直接「話」を聞く形式だからという効果もある?

遠野物語語り部の話でもあるんですよね.架空の取調室にいるヤナギタ(仲村トオルさん)が,ササキくん(瀬戸康史さん)という「語り部」と,彼が語った「話」について回想してる.
ササキくんの祖母が語っているシーンはさらに回想中の登場人物の回想にあたるのかな? 考えてみると結構複雑な構成なんですけど,
自分が今どこのレイヤーにいるか気にすること無く,目の前で展開されてる「話」についていけていたのは構成が上手だったのかな.
ヤナギタとイノウエはずっと架空の取調室にいる,回想シーンではヤナギタの家や遠野,ササキの語りでは遠野のどこか,シンプルな舞台の上で,物語は場所も時刻もめまぐるしく移り変わっている.そこに立っているヤナギタが「取調室にいるヤナギタ」なのか「回想シーンの中のヤナギタ」なのか,とくに混乱することなく見れたのは今考えると,やっぱり不思議.

ササキくんは若い語り部で,語り部というのは霊媒師でもある.メディアの語源はシャーマンや霊媒師も指していたというのはササキくんのような存在(話を語り伝える人)がいたからなのかな,と思いました.この辺りきっと調べればそういう歴史の本がありそう.体験者が憑依しているように語るササキくんに,語り部の先達である祖母は「もっと高い視点でいないと連れてかれるぞ」というようなことを言うのですが,ササキくんは結局ヤナギタ先生に話を,語ることを,託して行ってしまう.
またササキくんは回想シーンのレイヤーを越えて取調室に登場し,取調室にいるイノウエにも,託す.
ヤナギタ先生も有罪が確定し,イノウエに託して,行ってしまう.

演劇における俳優さんは,複数人の語り部で,画面の向こうにいるわけじゃなないから現実の肉体がある.観客と話もできる.
イノウエは演目冒頭で観客と会話している.
インタラクティブってだけじゃなくて,観客と同じレイヤーにいるキャラクターなんですよね.
ササキくんとヤナギタ先生がイノウエに託したものが,観客にも託されてるのではないかと思うんです.
ササキくんが回想から境を越えて取調室にいるイノウエに託したように,ヤナギタ先生は取調室から観客席に向けて託しているのでは.
もしそんな意図が無かったとしてもいいです,勝手に託されます.

DVDは1月予約開始2月下旬発売だそうです.欲しい.
https://twitter.com/ikiume_kataru/status/800554709098450945